元2050の社会人ボランティアのありやまみよこです。
大学5年生の夏、特定非営利活動法人(NPO)2050(当時・以下2050)の写真展が大学の学生課で開催されていたので、ふら~っと立ち寄ったことがきっかけで、その写真に収められた、子どもたちの輝く瞳に出会いたくて、その年の2050スタディーツアーに参加しました。1998年の冬・ネパールへの初めての旅でした。
1998年は私の人生を大きく変える出会いがありました。それは、2050の理事長北谷勝秀・昭子ご夫妻と共に途上国を旅する人生の幕開けでした。春に就職先が決まり、卒論を仕上げた私が、冬に訪れたのがネパール(1998年12月)、そして、憧れの国インド(1999年2月)でした。ネパールでは、2050のご一行と共にOKバジの背中を追いかけて、ドリマラ村から片道5時間以上かかるサチコール村まで訪ねて行って、サチコール村のヘルスポストに暮らす櫻井ひろこさんにお話しを伺ったり、町の様子をカメラに沢山収めたり、村々の女性の話に耳を傾けて歩きました。北谷理事長につないでいただいて、年明け2月には独りでインドを訪れ、2050奨学生と面会をしたり、奨学生の支援を現地でしてくださっていたインド北部パトナー地域のNGOアディティで寝泊まりさせていただき、プロジェクトの地域を視察させていただいたり、インドの子どもたちへの教育機会を求めて活動を続けているシャムシャド・カーンさんのお宅に訪問をして、教育の機会を最貧困層の子どもたちに命がけで提供するための活動についてのお気持ちをお伺いしたり、ムンバイでは国連のインド職員さんの運転車で送迎してもらったり、23歳のじゃじゃ馬一人旅を北谷先生を知る人たちが、様々手助けをしてくださって、憧れの国=インドを2週間旅することができました。最後に訪れたカルカッタでは、国連職員OBのインド人のお仲間をご紹介くださり、ホームステイも5日ほどさせて頂き、大変お世話になりました。
北谷ご夫妻と出会った1998年から、世界は全く違う広がりを見せてくれることになったのでした。2001年フィリピン、2002年パプアニューギニア、2008年~2013年シンガポール駐在に帯同し子育て、2014年ネパール2度目、2016年中國シルクロード緑化ボランティア、2017年中國シルクロード緑化ボランティアと、2050のスタディーツアーに参加をし、海外での子育てを経験し、2017年3月末に2050閉幕のその日まで、北谷ご夫妻の背中を、笑顔を見たくて社会人ボランティアとして、メルマガ発行やイベントスタッフ、事務局ボランティアなどで関わりを続けさせていただきました。
☟2017年3月31日 2050閉幕のその日 花束を届けに伺った時のお写真より
本当に1994年から23年間、NPO法人の運営お疲れ様でした。感謝しかなかったです。
その翌年の2018年4月6日
北谷勝秀理事長は天に召されました。
その2か月前、2018年2月には北谷先生から、「スリランカで活動を進めるために、任意団体GGチームを立ち上げたので、ぜひ加わってほしい」と、メールを頂戴していたので、春の突然の訃報に、驚くばかりでした。
つい数日前に、ふと北谷先生のことが思い出され、自転車をこぎながら空を見上げたことがありました。あぁ、その時にお電話をしておけばよかったな・・、と後悔いたしました。今年は、新緑を見ても、空を見ても、木々を眺めても、雲を追いかけても、涙があふれてくる、そんな春でした。北谷勝秀先生の存在を、いつも近くに感じているのは、今も一緒です。
その後、何もできないと思っていましたが、ご家族様からのご依頼を受け、ご葬儀の様子を最初から最後まで撮影班・カメラ係として、どのご参列者よりも、ご親族様よりも前のベストポジションで告別式に参加をさせていただきました。北谷先生をお見送りする告別式で、私は先生のことを、先生のカメラのファインダーからお収めさせていただきました。国連職員のお仲間の長谷川様が、国連関係の方々へお知らせくださったようです。
(長谷川平和構築研究所HPより「訃報」:http://www.shasegawa.com/ja/archives/16054 )
告別式には、多くのご参列者の皆様がお越しくださいました。
長谷川さんのホームページに、後日告別式の模様もご掲載くださっておりました。
ご焼香だけでお帰りになられた方もいらしたと聞きますので、もしよろしければこちらの長谷川さんのページにて、お写真をご覧いただけます。
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☟長谷川平和構築研究所HPより:http://www.shasegawa.com/ja/archives/16062
北谷勝秀 逝去する (08/04/2018)
元国連人口基金の事務局次長でNPO法人2050の理事長であった北谷勝秀氏の葬儀が、2018年4月8日に東京の南青山のやすらぎ会館にて行われた。200人以上の方々が来られ哀悼の意を表した。
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季節は廻り🍁2018年10月を迎えました。
北谷昭子夫人には、月に数回お会いして、おいしいフルーツをいただいたり、話に花を咲かせたり、時には遠出にお供をしたり、北谷勝秀先生の若かりし頃のエピソードを伺ってみたり、引き続きお付き合いを続けさせていただいております。昭子さんとの時間は、いつでもHappyなので、みなさんにも、このブログを通じてお伝えしてゆけたらと考えています。
半年を迎えた10月6日、北谷先生のお骨が岐阜県・高山市の真光のご本尊に納骨が執り行われたそうです。お二人の息子さんとご親族と真光の方々の見守る中、きっと北谷先生は手をひらひらと振っておゆきになられたことと思います。そのお骨の半分は、北谷先生のかねてからのご希望通り、京都の景色の良い山に樹木葬が済まされております。元2050副理事長の橋本宙八・ちあきご夫妻が、これから記念樹を樹木葬のその木々のもとに、お植えになられるそうです。樹木葬の山に、中國・シルクロード緑化プロジェクトで選定した「沙刺(サージ)」の木も、中國から持ち帰った挿し木を、京都の庭師・細見さんの腕により、日本で根付かせることが叶い、樹木葬の森に、移植されたとのこと。
京都にも、岐阜にも、いつかお墓参りに行ってみたいです。
☟2018年10月納骨前に、北谷邸で撮影しました。
半年間、この場所に設置してありました祭壇も取り除かれ、あぁ、本当に北谷先生とお別れなのだな、と改めて実感いたしました。
そして、2018年10月10日(水)。
お二人の息子さん達は、それぞれ海外へご出立されました。
私はこれからも、ちょくちょく昭子さんのもとに足を運びたいと思っています。
元2050事務局の福田さんが、毎週水曜日に昭子さんのもとを訪れ、電気屋さんや各種生活周りのサポートをされていて、本当に素敵な関係性だな~と感じています。
《お・ま・け》
先日、納骨の為に日本滞在中でした息子さんじゅんさん、元2050事務局の福田さんと昭子さんと自撮りに挑戦してみました📷 ^^
Happyのおすそ分けでした💛
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☟2017年2月17日NPO2050有志主催・北谷ご夫妻に感謝の会では司会を務めさせていただきました。次回のブログは感謝の会についてを綴りたいと思います。
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雷の聞こえる夜に。
Good night!
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